どうして「ディズニー最高傑作」?『プリンセスと魔法のキス』を答え合わせする

2020/05/25

WDAS ディズニーリバイバル

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Attention:本記事はディズニー「最後」にして「最高傑作」。プリンセス嫌いのための映画、『プリンセスと魔法のキス』の続きに当たります。未読でも大丈夫ですが、「まだ映画を観ていない方」や「製作背景を知りたい方」はページの移動をお願いいたします。


 


さて、前回の冒頭で本作のことを「アンチプリンセスへのアンサー」だと書いたにも関わらず、「具体的にどこがアンチ向けなのか書いてねぇじゃん」ということに気付きました。ごめん。
終盤にちゃんと書いたから許してちょ






(本記事は本編のネタバレを含みますので、先に視聴しておくことをお勧めします)






  • 過去作品との関連


エヴァンジェリーンって結局何者だったの?

さて、冒頭のシーン。カメラは空に輝くひとつの星を映します。



女性ボーカルの美しい声が聴こえ、

The evening star is shining bright
 
So make a wish and hold on tight 
There's magic in the air tonight 
And anything can happen...



まぁ要は「星に願えば夢は叶うよ」、的な歌が流れてきます。







ディズニーに多少なりとも興味がある方なら誰でもわかる筈です。


「あ、これ『ピノキオ』のオマージュだな」と。






君が誰であろうと、星に願えば夢は叶う。
「When You Wish Upon A Star/星に願いを」から始まるピノキオの作り方と確かにソックリ同じです。





しかし見落としがちなのは、



本作は『ピノキオ』だけでなく『ピーター・パン』とも深い関連があるということです。






ピーターパンの冒頭がどんなシーンかというと、ピノキオほどの知名度はありませんが 明らかに星がテーマになっていますよね。さらに曲の題名は、








『The Second Star To The Right(右から二番目の星)』です。








「プリンセスと魔法のキス」エヴァンジェリーンの正体とは?「ピーターパン」エンドロールより





まさかこれがエヴァンジェリンの伏線だったと誰が予想したでしょうか?(盛大なネタバレ)







時系列を追えば『ピノキオ(1940)』→『プリンセスと魔法のキス(2009)』→『ピーター・パン(1953)』となっている訳です。「ピノキオで出てくる星ってひとつしかないのになんでピーターパンだと増えてるん?」と今まで疑問に思っていた人(そんな人が居るかは不明)へのアンサーが実に50年もの時を超えて解明されました。エモすぎてこの事実だけで筆者3回ぐらい死んだ。





今度本作を観るときは、ぜひともこの順番で鑑賞することをお勧めします。
ちなみにこの順番で観るとエモすぎて3回くらい死にます





リスペクト満載。本作のオマージュを軽く紹介



前編でも解説したように、手描きアニメイターは本気(マジ)でこの作品に向き合っているのでウォルトへのリスペクトがガチガチなんですよね。




ルイスはトランペットを吹く時などに時折目が緑色になりますが、これは『王様の剣』のマダムミムや『ジャングル・ブック』のカーが参考になっています。








「ファシリエのダンス」は『メリーポピンズ』より、ペンギンのダンスのオマージュです








他にも監督の2人曰く「『レディアンドトランプ(1955)』をベースにしたスタイル」であるということや、『バンビ(1942)』『レスキューズ(1977)』『フォックスアンドハウンド(1981)』が元となったバイユー(川や入り江のこと)のシーン、Dr.ファシリエのキャラクターデザインはフック船長とクルエラを元にしていたり….と、ディズニークラシックの形式がこれでもかと言わんばかりにふんだんに取り入れられています。









  • 過去作品からの「リスペクトある」アップデート



さて、「星に願えば夢は叶う」で始まる本作ですが主題はこの限りではありません。



冒頭、幼少期のティアナはシャーロットと一緒に読んだ絵本の一節から星に願うことを知りますが、そんなティアナに対しジェームズ(ティアナの父)は「星に願うことも大切だけれど、努力して働くことで夢は叶うんだ」と言い放ちます。
更にティアナの親友であるシャーロットは星にプリンスナヴィーンが来ることを願いますが、実際に来たのはナヴィーンに変身した従者のローレンスであり、星に願っただけで願いを叶えた...訳ではありません。







これはクラシックディズニーの作品が受けてきた批判であり、受け手からの偏見そのものです。








白雪姫もオーロラも、王子様からのキスなんてただのラッキーじゃないか。シンデレラなんて魔法に助けてもらっただけじゃないか。星に願っただけじゃ現実世界では成功しない。といったぐあいに、ウォルトの創り出すプリンセス作品は見当違いの批判を受けることが多いです。

わざわざ「見当違い」と書くのはなぜかというと、実際のところ「プリンセス達はただ待っていた訳ではない」からです。
白雪姫は「ボロ服を着ている見た目の悪い自分」を恥じることなく王子様の前に出る気品の高さを持っていますし、オーロラは森で出会った青年に溺れることなくロイヤルとしての自覚を持ち自らの恋を諦めます。シンデレラは日々の理不尽な仕打ちにもいつかは終わりが来ると信じ、自らの権利を高らかに主張して舞踏会へのチケットを勝ち取ります。

彼女達自身の行動こそがチャンスを掴んだのです。





ウォルト、ひいては今までのディズニー作品はこれをわざわざ言葉にはしませんでした。
こんなのは、よく考えればわかることだから。






しかし近代の受け取り手はそれを全く理解しようともせず、「昔は女子の地位が低かったからだ〜」「結局顔じゃん〜」「子供騙し〜ただのラッキーな話〜」などという批判をせずには居られない。






そんな「プリンセス嫌い」の人達のために、ディズニーは「努力も必要だ」というメッセージを打ち出すことでアンサーした訳です。




なんならティアナはチャンスさえ「魔法の力」に頼ってません。この作品でドレス(夢を叶えるきっかけ)を与えたのは魔法使いでもラッキーでもない。紛れもなく、彼女の親友のシャーロットなのだから。








近代ディズニーは「批判を受けてきた「今までの古い価値観」」をアップデートするタイプの作品が多いですが、本作も「星に願えば夢は叶う」タイプから「人事を尽くして天命を待つ」タイプにしっかり過去作品のリスペクトを込めつつアップデートしている訳です。














さらに筆者が『プリンセスと魔法のキス』を「最高傑作」とまで評すのは、この作品の持つメッセージが、単に「今までの作品に対する否定」による価値観のアップデートじゃないことが大きいです。



文字にするとややこしいので補足。
さていきなりですが筆者は「アナと雪の女王」が苦手です。歌とか世界観は大好きだし、売れたからミーハー嫌い気質で...というわけでは全くなく、内容、ひいてはそこに含められたメッセージが苦手です(アナ雪が好きな人を否定する意は全くありません)。何故かって?理由は色々ありますが、端的に言えば一番は





"アナ雪の打ち出すメッセージが、悉く過去作品の否定だから。"








確かに「今までとは違う新しい価値観」を提示する時に、「昔の古い考えは間違っていた!あり得ない!」と今までを否定するのは最もわかりやすく明快な訂正・名誉回復の方法です。
しかしそれは同時に、「今まで自分たちがやってきたこと」を全て否定してしまうということでもあるんですよね。


具体的に言うと、まずクリストフやエルサは「出会って1日で恋に落ちるなんてあり得ない!」と今までのディズニー作品をほとんど否定しています。この他者を排除してまで自分の意見を押し付ける姿勢が既に好きになれません。

更にそれだけならまだしも、そうやって過去作品が否定されるのと同じように、従来のプリンセス像をモデルに描いたアナまでもが、「エルサは帰ってこなきゃダメ!」と他者の意見を排除する姿勢を見せ、エルサの考え方を理解しようとしません。これじゃまるでディズニー公式が「今までのプリンセスは自分勝手で、頭が弱く、他者を理解しない不愉快な存在だ」と言ってるようなものです。

とにかくどちらか一方に偏った二者択一で、「そういう考え方もあるよね」と双方の立場を理解し、肯定してくれる存在が居ないんです。
 
主観ではありますが先述したような過去作品へのオマージュなども雑な印象で、あー、これ作った人多分ディズニー好きじゃないんだろうな。となんとなく察してしまいました(共同監督のクリスバックが例のアイズナー宣言でディズニーを去った人ですし…)。






これを「今までのディズニー作品を現代的にアップデートした!」と絶賛するのはあまりにも過去作品への愛が無い行為ではないでしょうか。








愚痴はここまでにしましょう。
比較して『プリンセスと魔法のキス』では、ジェームズは「努力"も"大切」と星に願うこと自体を否定してはいません。シャーロットは星に願ったから結果的に王子(の弟)と出会うことができたし、彼女は働き者であるティアナに対し「王子様を待つのが女の幸せだ」的なことは一切言いません。ティアナは努力しないナヴィーンに対し「もっと努力すべきね」と言いますが、勿論これを強制しません。あくまで「私は努力するけど貴方はどうするの?」というアドバイスであり決定権は相手に委ねています。(そもそも結婚するのになんでエルサの許可が必要なんだよ)




自分と違う意見だからって排除することはせず、「私は私の考え、あなたはあなたの考え」とお互いを認め合う。これこそが真に「新しい価値観のアップデート」ではないでしょうか?





 .


あと前編書いてるうちに気付いたんですけど、「何を望んでいるのか」ではなく「望んだものになるためには何が必要なのか」を説いた「Dig A Little Deeper(もう一度考えて)」もゴリゴリにアンチディズニーへのアンサーソングですね。


「シンデレラは魔法でお姫様にしてもらっただけ」「フィリップ (『眠れる森の美女』の王子)は魔法使い3人組に助けてもらっただけ」「アラジンはジーニーが居なければ玉の輿に乗れなかった」、的な批判の残る過去作品に「いやいや、魔法で『望むもの』は与えたけれど『必要なもの』を見つけたのは主人公だよ」って言い返した歌なんでしょうねこれ。シンデレラはドレスや靴を与えられたし、フィリップは剣と盾を貰ったし、アラジンは王様にしてもらったけれど、最後にはシンデレラもアラジンも見た目で着飾らずありのままを知ってもらうことの大切さを知ったし、最終的にマレフィセントにとどめを刺したのはフィリップだよ。というのを言語化したんでしょう。




要は過去作品を否定せずとも、現代的な価値観にアップデートしたメッセージは伝えられる訳です。
アナ雪お前に言ってるんだよ聞いてるか?








  • 過去作品との関連その2





監督2人の代表作品からわかるように、主に制作に関わっているのがディズニールネサンス期のアニメイターなのでその辺からのカメオが滅茶苦茶多いです。アラジンの魔法のじゅうたん然り、トリトン王然り。2人でダンスするシーンも美女と野獣のリスペクトでしょう。「When We're Human」のシークエンスは「ハクナ・マタタ」のオマージュです。


プリンスに成り変わったローレンスが結婚式を挙げるシーンなんてリトルマーメイドそのままですよね。(結婚式が終わればヴィランの目的が達成される、ヴァネッサに変身したアースラが結婚式を挙げるシーンでヴァネッサが犬のマックスを蹴るのと同様にローレンスがカエルのナヴィーンの舌を踏む、サイドキックによってその結婚式が無茶苦茶になる、等)


ちなみにこの結婚式のシーンは監督自身もカメオ出演してます。トリトン王のフロートからビーズのブレスレットをばら撒いてる2人がクレメンツとマスカーです。





製作陣のカメオは他にも作曲者のランディ・ニューマンがレイの歌う「Gonna Take You There」の前にいとこのランディとして出演しています。声もニューマン本人が当てており、実はもっとセリフがあったけどニューマンがあまりにも下手でカットされたとかいう面白すぎるエピソードもあります。







  • ディズニーリバイバル作品としての関連





これは今度詳しく書けたらいいなと思ってるんですが、ディズニーリバイバル(2009~)時代の最大の特徴といえばやはり「新しいプリンス/プリンセス像を打ち出した」ことでしょう。

怠け者のナヴィーン王子から始まり、元泥棒のユージーン、野心的なレーサーのヴァネロペ王女、自由に生きることを選択したエルサ、クソ王子のハンス、「私はプリンセスじゃない!」と自称するモアナ。王族だからといって形に囚われないよと。あんたらいったいロイヤルをなんだと思ってんの?







中でも本作と関わりが深いのは、同監督による『モアナと伝説の海(2016)』ですね。



モアナのヴィランにあたるタマトアはファシリエをオマージュ元としています。

ファシリエ
タマトア







モアナは北極星を頼りに星空の下で航海をしますが….
もしかしたら居るでしょうね。幸せそうに寄り添うふたつの星が。














  • 何で売れなかったのかは明らか



さて、ここまでメチャクチャ持ち上げてきましたが、本作にはひとつ重大な問題があります。知名度です(いつもの)。


日本のパークは映画の興行収入を見て展開するアトラクションやグッズを決めているため興収がディズニーの予想より伸びなかった本作はどうしても知名度が低くなりがち。





では、どうして映画の興収が伸び悩んだのか?それは火を見るより明らかです。




『Princess and The Frog(プリンセスと魔法のキス)』だから





こんな胃もたれしそうなテンプレタイトル女性でも敬遠するわッッッ!






もっとジャジーでお洒落な題にしてたら、きっと何かが変わっていたことでしょう。






本作の(興行的な)失敗を受けディズニーは「Tangled」「Wreck-It-Ralph」「Frozen」、とダブルミーニングでなんか格好良いタイトルを付けるようになり、男子層獲得のために「冒険バディムービー!」って感じの予告を打つようになりました。何故プリキスではそれをしなかった...?プリキスだってもっとあっただろうが、なんか、こう、良い方法がァ!




かくいう私も題名で食わず嫌いしてたんで、これからはどんな題名だろうが臆せず観ようと心に決めました。大切なのは中身だよ中身。







  • まとめ


プリキスが嫌いなディズニーオタクはいない



これに尽きる。どのシーンを切り取っても温かみを感じて、みんなで楽しく踊ってるシーンですら泣きそうなるもん。

最近の3DCG大量摂取をしてきた体には染みるわ染みるわ....。



やっぱ手書きっていいな。



ちなみに、『モアナ』は当初2Dアニメーションにする予定だったそうです。
マウイの上半身のタトゥーは全部CGで作ったキャラに上から手書きで描いているし、「Your Welcome」のシーンでも平面(2D)的な描写が出てきてました。
これのおかげで海外では「ディズニー手書き復活説」がまことしやかに流れてたんですけど、、、そろそろワンチャンあること祈ります。
 










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ディズニーファンの父親の影響で0歳の頃からディズニーアニメ漬けの毎日を送っています。
一番好きなディズニープリンスはエリック。一番好きなサイドキックはムーシュ。
アランメンケンが自分の第2の父だと勘違いしながら生きてます。

東京のパークも好きで足繁く通います。共通所持。

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