注: 本記事は【ディズニーはまだ「生きている」。『アナと雪の女王2』は凍ったスタジオを溶かした作品であるという話】のつづきとなっております。本記事のみでも読めるようになっていますが、良ければ前編もご一読お願い致します。
- あらすじ
前作から3年の月日が流れ、アレンデールは他国から移住してくる人が増え発展を遂げていた。しかし女王のエルサには他の誰にも聴こえない「声」が聴こえるようになる。エルサはアナ、オラフ、クリストフ、スヴェンと共に「声」のする場所を突き止める旅に出るが、そこにはエルサの母のある秘密が隠されていた...
- 視覚的な効果
本作を見て衝撃を受けたのはストーリーもさることながら、その暴力的とさえ言える芸術性の高さです。
- 季節
まず比較対象として、「アナと雪の女王(2013)」ではそもそも「エルサがアレンデールを冬にしてしまう」部分までが話の導入部で、それ以降の季節はずっと冬なんですよね。
加えてあくまで感覚的な話になってしまうのですが、ディズニーでの3DCGの使われ方ってそもそも「無機物をリアルに細かく描く」目的 (『美女と野獣(1992)』での舞踏会のシーンの背景など) が始まりだったので、手書きと比較するとどうしても「温かみ」に欠けてしまうんですね。だって元々無機物背景担当だもん。人を描くプログラムじゃないもん。
この「3DCGが本来持つ温かみに欠ける印象」と「舞台設定が冬」という2つの要素がどうにもマイナス方面の相乗効果を生んでしまい、作品に対して全体的に「冷たい」印象を与えることになってしまっていたのです。
これを受け、アニメイター達は続編で舞台設定を大きく変えました。
まるごと秋の話にしちゃったんです。
「Frozen(アナと雪の女王)」なのに、アイデンティティである冬の設定を取り払う。
これ、かなり挑戦的な試みですよね。
プロダクションデザイナーを務めたリサ・キーンはインタビューでこう語っています。
「前作の世界観は壊したくありません。その一方で、自然にも忠実でなければなりません。どのようにして秋の色をバイオレットや青などで彩られた前作の色調に持ち込めるか? さらに、色鮮やかな背景の中でキャラクターが浮き上がって見えるようにしなければなりません」
「雪の魔法」と「秋の季節」が調和する魔法の森を描くためにアニメイター達は何度も試行錯誤しました。そして最終的に明るい色の彩度を控えめにすることで調和させています。
例えば火の精霊が出す火が轟々とした赤ではなく紫になっているように。
そして、この暖色が入ることによって映画全体に温かい印象が与えられ、コントラストの幅が広がったおかげで情景描写がよりわかりやすく、直感的になっています。
ほっこりするシーンは暖かく/シリアスシーンは彩度を下げる、といった具合に。
- Into The Unknown
舞台設定だけに留まらず、本作の表題曲である「Into the unknown」でも芸術性がすごいことになってます。
日本語の吹き替え声優である松たか子さんが英語版声優のイディナ・メンゼルさんに対し「何限界に挑戦してるんだ」と評したように、既に歌声だけで鳥肌ゾワゾワレベルが限界突破しているのですが、そこに更に限界に挑戦した映像が付いてるんですよ。
「雪(ピクシーダスト)で描かれる精霊達」の事ですね。
これを言葉で表現するほど手達者ではないのですが、音楽の裏拍のタイミングで放たれるピクシーダスト(ディズニーでは伝統的な「妖精の粉」)と4つの精霊達の一体感はあまりに完成されていて、1940年にディズニーより公開された「ファンタジア」を想起させるような素晴らしいシークエンスとなっています。
- Show Yourself
芸術性について最後にもうひとつ言及したいのが、これもまた秀逸だった「Show Yourself」内でのエルサのドレスの描写です。
(以降核心部のネタバレを含みます)
エルサはアートハランに向かうため、海を渡る前にまずドレスの上着?のようなものを脱ぐんですよね。画像一番上が脱ぐ前、画像一番下が脱いだ後です。
そしてアートハランまで着くとShow Yourselfの歌が始まるのですが、ここでエルサが髪をほどき、上着を脱いでレオタードのようになったことが視覚的に強調されます。
つまり、この服装の変化と共に「第5の精霊となっていくエルサ」が表現されているわけです。
そしてエルサは新しく精霊としてのドレスを纏います。ちなみにこの変身シーンは『シンデレラ(1950)』のオマージュです。
「ドレスを脱ぐ」という行為がエルサの「本来いるべき場所」を暗示しているわけですね。
この視覚効果が秀逸で思わず息を呑みました。
そして、エルサが新しいドレスを纏って水の記憶を呼び起こす時のあの子守唄のコーラス...…..あれで鳥肌ゾワァ!ってならない人とか居るんですかね?(知らん)
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今回紹介した視覚的な表現は所詮映画の一部に過ぎません。
なるべく大きな画面で、そしてなるべくステレオで。
この映画の壮大なスケールと没入感を感じて欲しいです。
- アナの大成長
さて、ここまでアナ雪2をべた褒めしてきた筆者ですが、恐らく多くの人がご存知の通り中の人は『アナと雪の女王(2013)』が好きではありません。
アナ雪(2013)を私が苦手とする理由のひとつに「主人公のアナにモヤモヤする」部分が多々あるから、というのがあります。
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というのも、アナは幼少から「いきなり姉に拒絶され」て十数年生きてきたため、またエルサを失うことへの恐怖からか1では自分の行動理由が全て「エルサのため」に起因します。
一人が嫌いな人なんて居ないから城に篭ったエルサは今寂しいはず。だから助けるわ!2人で帰ろう!といったぐあいにです。(その行動ひとつひとつがことごとく間違っているため結果姉妹に亀裂が生まれることになるのですが)
1のあのラストシーンでエルサを守った行動も咄嗟とはいえどエルサに起因し、少し言葉が悪くなりますが「自由を追い求めるエルサ」と「姉に依存し続けるアナ」みたいな非常にもどかしい状況が最後までずっと続くんですよね。
そのためハンスと一日で結婚を決めたことも、ハンスが悪者だと知った直後にクリストフに会いにいくのも、「自分を拒絶するエルサの穴を埋めるために他者を利用しているのでは?」と筆者は疑ってしまうんですよ。
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2の前半部でもそれは引き継がれていて、序盤に出てくるトロールの「今できる正しいことをするのだ」というアドバイスに対しエルサはハッキリと「今できる正しいこと……声を探すことね!」と思考しますが、ハッキリ言ってアナはそれに付いて行くだけです。
アナは常にエルサの顔色を伺い、「エルサと一緒に居ること」こそが正しいと思い続けて行動しています。筆者はこのあたりまで悶々とした感情を抱きながら鑑賞していました。
あれ?と思い始めたのはエルサが土の精霊(なんかでかくて怖い)を追い掛けようとしたあたりからです。
アナは土の精霊を追いかけようとするエルサを引き留め、「今するべきことは何?あれ(土の精霊)を追い掛けることじゃなくて、声を探すことよ」と初めて真っ向から、ハッキリとエルサに意見したんですよ。
お、アナってここまで建設的な意見を(エルサに対して)言える人だったっけ?と一瞬驚きました。
ですが、直後のシーンでエルサが両親の死因を知り失意に沈むシーンで、エルサが「私ひとりで声を探しに行く」と決定したことに対しアナは「どうして?私も行く、お願い、貴女の邪魔になるようなことは絶対にしないから……」と縋っています。その後エルサに無理やり突き放されたことに対しても奇声を発して怒り、このシーンまでは「まだ完全にはエルサへの依存を断ち切れていない」ことがわかります。
アナが「完全に」変わったのは、エルサとオラフが死んだところからでしょう。
オラフが消え、エルサの身に何かが起こったことを知る。
「I follow you around,I always have(あなたにどこまでも着いて行く、今までずっとそうしてきた)」という歌詞にもある通り、今まではずっと愛する姉の後を追ってきたアナですが、エルサはもうどこにも居なくなってしまった。(いや実際には凍っただけで生きてはいるんですけどね)
アナはそれまでの求心力だったエルサと、共に旅をしてきたオラフを同時に失ったことで失意のどん底に沈みます。
洞窟の中でひとりぼっちになり、「暗闇よこんにちは もう屈するわ」と嘆き、そして「立ち直れない現実」に絶望します。
でも、アナには心の声が聴こえてくる。
「打ち負かされ 希望は消えた それでも立ち直らなければ」という自分の中にある心の声が、彼女には聴こえるのです。
そしてアナは今までのように誰に決められるではなく、言葉そのままに「自分の心の声」に従い、"アナ自身"が選択した、「今できる正しいこと」をしようとします。(The Next Right Thing)
恐る恐るながらにも一歩を踏み出し、暗い洞窟から眩しく広大な大地へと自力で這い上がる。
そして歌うのです。
次 の 選 択 は 私 が 決 め る
「This next choice is one that I can make 」と。
アナ…………………………………………(号泣)
その後走って土の精霊の寝ている川まで向かい「Wake Up(起きて)!!!!」とアナが叫ぶシーンも、アナ自身が完全に「目覚めた」ことを示すかなり印象的なシーンになっていますね。
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本編中でオラフが言及したように、アナは目に見えるわかりやすい「力」は持っていません。雪の魔法を使えるエルサに対比して彼女はずっと「無力」な存在です。
だからこそ映画の中盤でエルサは「私と一緒に冒険したらアナが危険だ」と考え無理やり妹を遠ざけるのですが、これは大きな間違いであり、正解だったんですね。
アナを遠ざけ別々に冒険したことにより、凍る直前のエルサからのメッセージを受け取ったアナがダムを壊したからエルサは助かりました。これはつまり「アナを突き放して正解」だったと言えます。
しかしエルサはひとつ間違っていた。
それは「アナは危険なことはできないだろう」という思い込みです。
(もしかしたら自分に命の危機が迫った時のことを予見していたのかもしれませんが、)中盤までエルサは「単独行動で、私がひとりで解決しなきゃ」的な考えを持っていることがなんとなく察せられます。
しかし、エルサを助けたのは紛れもなくアナの「力」だった。
アナこそがエルサを助ける「王子」だったんです。
2の終わりでエルサはアナにアレンデールの女王の座を渡しています。これはアナが成長し、そしてアナの「力」を知ったエルサが安心してアナにアレンデール王国を任せることができるようになったということでしょう。
もう今までモヤモヤしてたアナへの気持ちが一気に吹き飛ぶんですよね。1のちょっとウザいアナはもうどこにもいないんですよ。
序盤の曲「Something Never Change」の歌詞内では「決して変わらないものをかたく抱きしめて離さない」と歌っていた彼女ですが、アナはこの冒険で一人の大人として自立し、もうエルサを離しても大丈夫なんです。
このアナの大成長。
1でアナに対してモヤモヤを抱えていた人ほど、2のアナのソロ曲に感動してしまうという逆説的な展開。これには拍手を贈りたいです。
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さらに今作のアナはもうひとつあったモヤモヤを晴らしてくれます。
それは「ハンスを選んだこと」に対するアナの見解です。
今までのプリンセス像を描いたアナは1でヴィランであるハンスと一日で結婚を決めました。これは皆さんご存知の通り「今までのディズニープリンセスを揶揄したもの」であり面倒くさいタイプのディズニーファンである私としてはあからさますぎて非常に不快な展開だったのですが、これについて2の劇中で描写されていました。
クリストフがアナにプロポーズをしようとする時に「アナ、僕はむかし君に言ったね、''初対面の男と結婚なんてクレイジーだ''って」とアナに話しかけると、アナは「何?クレイジーって言った?私のことクレイジーってそう思うの?」と安定の情緒不安定を発揮します。
クリストフは続けて「あ〜…あの時はそうだった、いや違う!変なもんか!ただちょっと世間知らずだっただけ……じゃなくて、愛を知らなかったんだ 俺も! だから間違ったことをしちゃったんだ」とまぁ下手くそな誤魔化し方をするんですが、その時にアナは
「(あの時の)私の想いは貴方にとっては''間違い''なのね?」
と、表情ひとつ変えずに反論するんです。
これ、実はすごい事じゃないですか?
「出会って一日で結婚なんて頭おかしい」と散々エルサやクリストフに言われ、もはやアレンデール国内ではネタになってしまったであろうアナの行動ですが、アナにとってハンスを選んだ時の「気持ち」は間違いじゃないんですよ。アナは「ハンスはクソ!」とは思いつつも、恐らく「自分の意思で運命の相手を選んだこと」について後悔はしていないんです。
アナ……………………………………………………!(2回目)
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今まで「エルサを求心力とし、依存している」「考え無し」のディズニープリンセス、的な描かれ方をしていたアナですが、ここにきてその事実を一気に潰してきたわけです。
『アナと雪の女王2』は、1で抱えたアナに対するモヤモヤを綺麗に解消してくれるんですよ。
- 「アナ雪2」はいいぞ
という訳で字数が5000突破しそうなので今回はこの辺で切り上げます。そしてまさかまさかの続きます。
次の記事ではアナ雪シリーズを通した「サーミ民族」の描かれ方から、WDAS及びディズニースタジオの「人種」との向き合い方について少しお話しできたらなと思います。
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